さいたま市立浦和大里小学校(サイタマシリツウラワオオサトショウガッコウ)

さいたま市立浦和大里小学校は、武蔵浦和駅西口のロータリーのすぐ西側(さいたま市南区役所サウスピアの裏手にある小学校です。さいたま市南区の鹿手袋を主として、白幡・別所、沼影、鹿手袋の一部が学区範囲となっています。駅前の高層マンションも一部含まれています(LAMZA、武蔵浦和マークス)。

1977(昭和52年)に浦和市立別所小学校から分離する形で開校しました。学校が建てられた地が「別所字大里」と呼ばれていたことから、浦和市大里小学校となりました。2016(平成28年)に開校40周年記念を迎えています。

浦和大里小学校40周年

正門を入ると、鳩を高く掲げてまっすぐ富士山に向かっている「思いやりのある子」という像があるようです。心豊かな子になってほしいという願いを込めて昭和59年に作成されました。さいたま市立浦和大里小学校のサウスピア側の道である「ひまわり通り」の壁のところには、さいたま市立浦和大里小学校および近郊の小学校や幼稚園などの子供が書いた絵がたくさん飾られています。

さいたま市立浦和大里小学校のキャラクター

さとぽん


40周年記念キャラクターとして「さとぽん」というキャラクターがいます。児童からの公募により作成されたようです。「思いやりのある子」が鳩をかかげていたり、校章が大里という漢字の間に鳩が入ったようなデザインをしているので、鳩のキャラクターになったのではと思います。

小学校教育

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さいたま市立浦和大里小学校の歴史

1977(昭和52年)に浦和市立別所小学校から分離する形で開校した。戸田町美笹地区の分村合併により昭和32年に戸田町(内谷・曲本・松本新田)の児童が浦和の小学校に地域外入学した。この西浦和地区は浦和市立別所小学校の学区に指定され、昭和47年の沼影小学校創立まで続く。その際、西浦和地区と沼影の地区は沼影小学校の学区からわかれた。だが、その後も浦和市立別所小学校の児童数が増え続け沼影小学校に移籍した児童を上回り、新しい学校建設が急務になる。当時、浦和市立別所小学校の学区には適地がなかったこともあり、現在の地に建設。学校が建てられた地が「別所字大里」と呼ばれていたことから、浦和市大里小学校となる。2001(平成13年)さいたま市立浦和大里小学校に改称。2016(平成28年)に開校40周年記念を迎える。

参考文献について

さいたま市立浦和大里小学校の年表

昭和52年(1977)浦和市立別所小学校から分離・開校
平成13年(2001)さいたま市立浦和大里小学校に改称

参考文献について

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