さいたま市立浦和別所小学校(サイタマシリツウラワベッショショウガッコウ)

"本を開いた形"の校舎がとても特徴的な小学校

さいたま市立浦和別所小学校は、武蔵浦和駅東口の別所地域の高台に位置している小学校です。さいたま市南区の白幡・別所、高砂・鹿手袋・沼影の一部が学区範囲となっています。駅前の高層マンションも一部含まれています(NALIA武蔵浦和 SKY&GARDEN)。

1934(昭和9年)に、六辻村の人口増加と白幡の六辻尋常小学校まで距離があったことから六辻尋常小学校の分教場として開校しました。2020年(令和2年)時点では、武蔵浦和周辺の小学校のなかで、過大規模と評価されるほどの児童数となっています(1097名)。2018(平成30年)に開校80周年記念を迎えています。

“本を開いた形”の校舎がとても特徴的で、今では珍しい二宮金次郎像が正門入って左側にあります。校庭には樹齢80年を越す古い木があり、風至池などがあります。校章は模様の中に「別小」と文字があります。

別所遺跡

別所小学校のある付近一帯が別所遺跡となる。昭和54年の改築に伴う発掘調査の際に弥生時代から古墳時代の集落跡(17基の竪穴住居跡)が発見されています。住居跡からは土器や勾玉も発見されています。市内では例の少ない和泉式土器に属するもの土器も含まれていた。出土した土器は市の指定文化財となっています。

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さいたま市立浦和別所小学校のスポット情報

さいたま市立浦和別所小学校

http://urawabessho-e.saitama-city.ed.jp/

埼玉県さいたま市南区別所2丁目5−34

さいたま市立浦和別所小学校の歴史

昭和9年に六辻村の人口増加や六辻尋常小学校まで距離の問題などから六辻尋常小学校の分教場として開校。その後、学年を増やしていき6学年まで揃ったところで、昭和13年に独立し(六辻第二尋常小学校)となり昭和22年に浦和市別所小学校となった。昭和54年の別所小学校校舎改築に伴う発掘調査の際に、弥生時代から古墳時代の集落跡が発見され、甑(こしき:米を蒸すための土器)、高坏、壺などの多数の土器が出土した。平成13年にさいたま市立浦和別所小学校と改称される。これは大宮市にも別所小学校があったため。平成30年に開校80周年記念。

参考文献について

さいたま市立浦和別所小学校の年表

昭和9年(1934)六辻尋常小学校の分教場として開校
昭和13年(1938)六辻尋常小学校の分教場を廃止。独立して六辻第二尋常小学校とし開校
昭和13年(1938)六辻第二尋常小学校を埼玉県女子師範学校代用附属小学校として指定
昭和16年(1941)六辻第二国民学校に改称
昭和17年(1942)浦和市第八国民学校に改称
昭和18年(1943)浦和市別所国民学校に改称
昭和22年(1947)浦和市立別所小学校に改称
昭和52年(1977)学校が分離し、別所小学校・大里小学校となる
昭和54年(1979)別所小学校校舎改築に伴う発掘調査(弥生時代から古墳時代の集落跡発見)
平成13年(2001)さいたま市立浦和別所小学校に改称

参考文献について

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