武蔵浦和駅周辺はマンション開発が進み、今では子供も含めかなりの世帯数になっていると思います。私も埼玉県育ちではありますが大人になってから住み始めたため、どういう地域なのかは深くは知りません。そこで武蔵浦和駅周辺の地域について、「武蔵浦和なび」が調べて得た情報をまとめて解説していきたいと思います。最近武蔵浦和に住み始めた方やお子さんにどういう地域が知ってもらうためのコンテンツになれば幸いです。主に書籍、文化財などの説明、以前から住んでいる方に話を伺った内容から解説しています。間違いがありましたら教えてもらえると嬉しいです。
武蔵浦和駅とは
埼玉県さいたま市南区にあるJRの駅です。「浦和」と名のつく駅は埼玉県内に8つありそのなかの一つです。JR埼京線とJR武蔵野線の2路線が通る駅です。埼京線においては通勤快速・快速が停車し、当駅始発もありますので、かなり便利な駅だと思います。通勤快速であれば平日新宿まで23分で着きます。
武蔵浦和駅は、昭和60年(1985)に埼京線の開通に伴い開業が始められた駅です。もともとは武蔵野線が先に出来ており、武蔵野線の田島信号場の場所に統合する形で開業されたものです。埼京線のすぐ横には新幹線が通っています。この東北・上越新幹線の開業の際には埼玉県南地域において多くの反対運動が行われました。この新幹線を通す際の条件の一つとして、「全面高架化と引き換えに通勤新線を併設」があり、これが実現し埼京線が開通されました。「全面高架化と引き換え」というのは、新幹線の当初の計画では戸田中心部まで高架となり、その後、地下に入り浦和市内を通過。大宮操車場付近から再び高架になる予定でしたが、地下は不可となり全面高架化に計画が変更となったのです。なお、大宮から伊奈町方面にでている埼玉新都市交通ニューシャトルも新幹線建設に際して開通されたものです。開業当時は大宮-池袋間であった埼京線ですが、昭和61年(1986)に新宿まで延長、平成14年(2002)に大崎駅まで延長およびりんかい線への直通運転、令和元年(2019)に相鉄線への直通運転が開始され、神奈川県の海老名駅まで繋がる形となりました(本数は少ないです)。
こちらの記事もご覧ください。
武蔵浦和駅
武蔵浦和駅東口
武蔵浦和駅西口
武蔵浦和駅の周辺地域とその歴史
武蔵浦和駅周辺のさいたま市南区の地域(近いもの)は以下の4つになります。
・別所
・白幡
・沼影
・鹿手袋
少し離れて、曲本・内谷・田島・辻・根岸・文蔵となります。武蔵浦和駅というよりは南浦和駅・西浦和駅・北戸田駅が最寄りとなる地域もあります。各地域については、それぞれ別記事にまとめる予定です。
武蔵浦和駅の周辺地域について歴史を遡ると、それぞれが村であり統廃合を得て現在の地域になっています。私が調べた中で歴史的にグルーピングしてみると、「別所・白幡・辻・根岸・文蔵」「沼影・曲本・内谷」「鹿手袋・田島」と3つのグループに分かれると思います。それでは、少し歴史を遡ってみましょう。
武蔵浦和駅の周辺地域の歴史 – 古代より前
さいたま市において「人がいた」ことを示す跡については旧石器時代まで遡ります。緑区の大古里遺跡や松木遺跡、南区大谷口の明花向遺跡にて生活の跡が確認されています。その後、縄文時代になると気候が温暖となり、東京湾の海進(海岸線が陸側に移動すること)が起きました。この時代、現さいたま市内の多くの地域が海に沈んでいましたが、この時代の貝塚が市内で多く見つかっています(南区の大谷場貝塚や山崎貝塚)。また、白幡にある睦神社は大宮台地南緑を作る一舌状台地の先端に位置していたと言われており、太平洋の暖流が打ち寄せていたことの名残で、この地一帯の斜面には暖地性植物が多く自生しているようです。別所にあるさいたま市立浦和別所小学校からは弥生時代・古墳時代の竪穴住居跡が発掘調査で見つかっています。あくまで素人の考えですが、東京湾の海進という出来事は一つ防災において有益な情報だと思います。昔と多少地形は変わっているとは思いますが、海進の時代に海に沈んでいなかった地域は高台であり洪水などの影響を受けづらいと考えることもできるのではと思います。
武蔵浦和駅の周辺地域の歴史 – 古代
浦和周辺は武蔵国足立郡で、足立郡には7つの里があったことが知られています(堀津郷、殖田郷、稲直郷、郡家郷、大里郷、余戸郷、発度郷)。このうち、堀津郷(ホツツ)が浦和市西部、大里郷(オオサト)(一説では大調郷)が浦和市南部であったと言われています。大里郷は調神社と関係があるのではと言われています。
武蔵浦和駅の周辺地域の歴史 – 中世
中世になると、古文書や記録の中に郷名が見られるようになります。
佐々目郷(ササメ) | 浦和市南西部(沼影・内谷・曲本・松本)から戸田市の西部。徳川家康の関東入国まで鶴岡八幡宮の所領。 |
大調郷(オオツキ) | 調神社周辺と考えられている。 |
高埇郷(タカハナ) | 大宮・浦和の市街地と考えられている。 |
与野郷(ヨノ) | 与野市のあたりが中心で近世になって土合地区が与野領であったことを踏まえると、浦和市域まで及んでいたと考えられている。 |
また、浦和駅西口にある玉蔵院において、永正11年(1514)に玉蔵院に留まっていた印融法印が書いた「杣保隠遁鈔」には「浦和(浦羽とも)延命寺」と書かれています。これは「浦和」という地名が出てくる最初の記録になります。
武蔵浦和駅の周辺地域の歴史 – 近世
元禄6年(1693)の鷹場中止の記録に領名が列記されています。
与野領 | 山久保村、本宿村、中島村、町屋村、千駄村、西蓮寺村、道場村、新開村、西堀村、関村、鹿手袋村、田島村 |
浦和領 | 浦和村、岸村、別所村、白幡村、根岸村、辻村、文蔵村、大谷場村、道祖土村、元太村 |
他の地域は省略。この記録は紀伊徳川家鷹場のため、笹目領は含まれておりません。(笹目領:内谷村、沼影村、曲本村、松本新田村)
武蔵浦和駅の周辺地域の歴史 – 明治以降
明治21年市制町村制が公布され、22年に町村合併がなされました。
六辻村 | 辻村、白幡村、根岸村、別所村、文蔵村、沼影村。最大であった辻村に5つの村が合併したことから六辻村と命名されました。 |
土合村 | 鹿手袋、田島、他9つの計11の村が合併し土合村となりました。漢字の十一は組み合わせると土となり、それが合わさったことから土合村となりました。 |
美谷本村 | 曲本、内谷、他美女木・松本新田の4つの村が合併しました。それぞれの文字を取り美谷本村となりました。 |
昭和にはいり、編入・合併により現在の姿になります。
昭和13年(1938)に六辻村は六辻村から六辻町となり、昭和17年(1942)に六辻町が浦和市に編入されます。
昭和30年(1955)に土合村は大久保村とともに浦和市に編入されます。
昭和18年(1943)に美谷本村は笹目村と合併し美笹村となり、昭和32年(1957)に戸田町に編入されます。その後、昭和34年(1959)に戸田町のうち、松本新田・曲本・内谷が浦和市に編入されます。
平成13年(2001)に浦和市は大宮市・与野市と合併しさいたま市となり、平成15年(2003)にさいたま市が政令指定都市に移行し武蔵浦和駅周辺地域となるさいたま市南区となります。
武蔵浦和駅の周辺開発
昭和60年(1985)年の埼京線・武蔵浦和駅開業当時は、武蔵浦和駅周辺は駅前広場をはじめ未整備な状態でした。昭和61年(1986)に浦和市の市勢振興計画により、埼京線と武蔵野線が交差する武蔵浦和駅周辺が副都心として位置付けられます。平成3年(1991)武蔵浦和駅周辺地区都市総合再開発計画が策定されることとなります。武蔵浦和駅周辺地区の再開発は第1街区〜第9街区まで分かれて進められています。
各街区については、さいたま市の武蔵浦和駅周辺地区事業概要をご参照ください。
武蔵浦和駅第2街区第一種市街地再開発事業
事業期間平成6年度〜平成10年度の武蔵浦和駅第2街区第一種市街地再開発事業により、武蔵浦和駅西口にLAMZA(ラムザタワー)が建設されました。この時、武蔵浦和駅西口側に武蔵浦和駅に直結する歩行者デッキや公共駐輪場が整備されました。
武蔵浦和駅第6街区第一種市街地再開発事業
事業期間平成8年度〜平成12年度の武蔵浦和駅第6街区第一種市街地再開発事業により、武蔵浦和駅東口にライブタワーが建設されました。この時、武蔵浦和駅東口ロータリー、武蔵浦和駅東口地下の駐輪場やライブタワー内に駐車場を含め、武蔵浦和駅東口が大きく整備されました。
武蔵浦和駅第8-1街区第一種市街地再開発事業
事業期間平成12年度〜平成18年度の武蔵浦和駅第8-1街区第一種市街地再開発事業により、武蔵浦和駅東口にミューズシティが建設されました。Olympic・ハイパーマーケット武蔵浦和店、武蔵浦和メディカルセンターなど地域に対して必須かつ便利な施設が整備されました。
武蔵浦和駅第4街区第一種市街地再開発事業
事業期間平成16年度〜平成22年度の武蔵浦和駅第4街区第一種市街地再開発事業により、武蔵浦和駅西口にNALIA(ナリア)が建設されました。あわせて歩行者デッキや周辺の都市計画道路などが整備されました。
武蔵浦和駅第1街区第一種市街地再開発事業
事業期間平成20年度〜平成28年度の武蔵浦和駅第1街区第一種市街地再開発事業により、武蔵浦和駅西口にPLUM CITY(プラムシティ)が建設されました。この時、武蔵浦和駅西口ロータリーや南区役所・図書館などを含むサウスピアが建設されました。(南区役所は以前、武蔵浦和駅東口の現在別所幼稚園がある位置にありました。別所幼稚園は武蔵浦和駅西口の現在プラウドタワー武蔵浦和レジデンスがある位置にありました)デッキや公共駐車場・駐輪場の整備も進められました。これができる前は武蔵浦和駅周辺の駐輪場事情は非常に悪く、その影響もあってか違法駐輪に溢れていました。駐輪場の整備や違法駐輪への対応が行われ、今ではだいぶ減ったと思います。
武蔵浦和駅第3街区第一種市街地再開発事業
事業期間平成23年度〜平成29年度の武蔵浦和駅第3街区第一種市街地再開発事業により、武蔵浦和駅西口に武蔵浦和 SKY&GARDENが建設されました。歩行者デッキの整備も一部行われました。NALIA(ナリア)、マーレと繋がりましたが、色々あったようでLAMZA(ラムザタワー)とは繋がりませんでした。
その他
2021年10月現在、第1-A地区において開発が進められています。
武蔵浦和駅西口開発 – プラウドシティ武蔵浦和ステーションアリーナ