焼米坂

武蔵野線沿いの武蔵浦和駅と南浦和駅との中間地点あたり南浦和小学校の東側にある旧中仙道の坂です。
焼米坂というのは中山道を通る旅人に焼米を売っていた茶屋があり、そこから名付けられたようです。江戸時代に書かれた「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」の根岸村のページに「焼米坂 村の北の街道の内にあり、上り一町半許の坂なり、此所にて古来より焼米をひさぐ故に名づけリ」という記述があります。ちなみに焼米とは、籾(もみ)のまま米を炒り、それをついてからを除いたものです。当時の携帯食だったようです。
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現在では横に記念碑が建てられていました。

忠魂碑

忠魂碑


なお、その隣には忠魂碑が建てられていました。これは戦死者の供養のものかと思うので、焼米坂とは別のものなのかな?

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